京都市内の案内図 (今回、枠の部分が訪れたお寺)     
  今年も紅葉を追っかけて、古寺が点在する京都の紅葉狩りに出かけた。古寺の丹精なたたずまいを優雅に彩る紅葉は、通天橋の東福寺、もみじ舞台の清水寺そして幻想的なライトアップの永観堂はまさに錦に染まっていた。今年はいずれも寒暖の差が激しく色彩豊かな紅葉であった。
◎ 紅葉の由来について
            古(いにいえ)の詩情を訪ねれば桜に勝る秋の紅葉
 日本初のモミジ賛歌といえば「万葉集」、天智天皇(662~671)年が藤原鎌足に詔して「春山の万花の艶(にほひ)と秋山の千葉(せんえふ)の彩りとを競憐(きほ)はし給う時」、額田王が「秋山の木葉を見ては 黄葉(もみち)おば取りてそしのふ・・・」と歌いモミジに軍配をあげた。万葉の時代、モミジといえば黄葉と表記した。万葉人は秋になって草木が黄色や紅色に染まるのを「モミツ」といった。山部王の「秋山にもみつ木の葉の うつりなばさらにや秋を 見まく欲りせむ」というように・・・。
 平安時代になると、嵯峨野などの紅葉名所へくりだして、紅葉狩りが行われるようになり、庭園内にカエデやハゼのようなモミジ木を植えて愛でるようになった。「源氏物語」の「紅葉賀」の巻に「秋の宴が描かれ、菊の花を挿頭して青海波を舞う源氏が夕陽に照らされて紅葉の舞い散る中で、この世のものと思われるほど美しかったという。桃山時代には歌舞伎などの芸道や娯楽が盛んになり、紅葉狩りの風習も広がり、狩野秀頼の「観楓図屏風」には紅葉名所の高雄で宴に興じる富裕な庶民層が描かれ、紅葉狩りの様子がわかる。
 秋の紅葉として庶民の間に紅葉狩りが定着したのは江戸時代に園芸ブームにのってカエデにも一大ブームが到来。数多くの園芸品種が産み出され、約100種にのぼったという。
日本産のモミジとカエデの野性種は26種、モミジとカエデは分類上同一のカエデ属であり厳密に区別はなく、呼び名の違いらしい。今日、カエデには「楓」の字を当てるが、古名は「かへるで」。万葉人は蝦手(かへるで)と表記している。  (ガイドブックより)   
                                                         
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 東福寺は京都五山のひとつ。臨済宗東福寺の大本山。奈良の東大寺と興福寺から2文字をとって東福寺と名づけられた。本堂と普門院、開山堂を結んでいる通天橋から洗玉潤と呼ばれる境内の渓谷の2000本のモミジやカエデを眺めることができ、この眺めは通天紅葉と呼ばれる大人気の紅葉スポットである。橋の中ほどにある張り出した舞台からは絶景である。モミジは葉が3つに分かれて黄金色になる特徴がある。おすすめの2つ目は臥雲橋から見上げる通天橋とモミジのポイントも素晴らしい。ただ、今回は方丈庭園は時間がなく拝観できなかったのが残念であった。
 

                    東福寺の境内案内図

 
色づく紅葉の並木道

 
 東福寺の入口

 


 

本堂内の天井に書かれた龍 

 
                        
三門(国宝)

 
三の滝
 

この真っ赤な楓は開山の円爾円(えんにべんえん)が宋から持ち帰ったもの


   
光と影で鮮やかに映る紅葉   



      





通天橋

 
    
  方丈 明治23年に再建。方丈を囲んで四方に庭園が配置されている。             
                             
 
     
         左側の普門院と開山堂(重要文化財)              



開山堂(重要文化財) 
 
                        

 
            開山堂に通じる通路            

 
            臥雲橋からみた通天橋            



境内に流れている洗玉澗という川


燃えるような紅葉越えの通天橋

 

 
  黄色と紅葉が海のように広がる紅葉ゾーン

 


   清水寺は広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院のひとつである。また、石山寺、長谷寺などと並び、日本でも有数の観音霊場であり、金閣寺、嵐山などと並ぶ京都市内でも有数の観光地。季節を問わず多くの参拝者が訪れる。また、古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。境内は標高242m清水山(音羽山)中腹に石垣を築いて整地され、多くの建物が軒を接するように建ち並び、入口の仁王門を過ぎ、西門、三重塔などを経て本堂に至る。本堂の先の境内の東側には北の釈迦堂、奥の院が崖に面して建つ。本堂東側の石段を下りた先には寺名が3本の筧(かけい)が流れ落ちており、「音羽の滝」と呼ばれている。
 本堂は国宝。徳川家光の寄進により寛永10年(1633)に再建されたもの。「清水の舞台」とも呼ばれ、寄棟造、檜皮葺きで正面左右に入母屋造の翼廊が突き出し、外観に変化を与えている。多くの長大なケヤキの柱139本が「舞台」というせり出し部分を支えている。釘は使われていない。思い切って物事を決断することを「清水の舞台から飛び降りるつもり」と言うが、清水寺の古文書調査によれば、実際に飛び降りた人が1694年~1864年の間に234件に上がり、生存率は85.4㌫という

 
 

 
平日ながら、お土産店が並ぶ清水坂は混雑している

 
左は洋館、右側は和風の建物が対比しているのも珍しい




手前の仁王門と西門


 

三重塔(重要文化財)

高さ30m、昭和62年に解体修理により外部極彩色が復元。


 

清水の舞台



舞台から子安塔を望む。 高さ15m 名のとうり安産に大きな信仰を集める塔
70-300mmレンズで撮影

    


本堂の様子
本堂内には、中央の厨子には千手観音立像、右の毘沙門天立象、
左には地蔵菩薩立像をそれぞれ安置されている。
    



    



    



「奥の院」は本堂の全貌を見渡すことができる位置にある
    



    



燃えるような鮮やかさの紅葉
    



 緑、黄、赤色様々な色の 紅葉が美しい。秋を独り占めしているかのようだ
  



湯豆腐などの店が並ぶ。ここで一息いれて湯豆腐を食べる
    


大きな欅の柱139本が「舞台」と呼ばれるせりだし部分を支えている
    



    



三重塔を包む紅葉

    


池に映る紅葉がきれい
    

 
 「おく山の岩がき紅葉散りぬべし、照る日の光、見る時なくて」 古今集
 この歌は、平安時代初期に永観堂(禅林寺)を創建された弘法大師の弟子真紹僧都(しんじょう 797-873)の徳を慕って、自分の別荘を寄進した藤原関雄の詠んだ歌です。永観堂は仁寿3年(853)の草創以来今日まで、幾多の文化人たちの筆や口にもたはやされ、親しまれて゛もみじの永観堂゛しとて千百有余年の輝かしい歴史を持った京都有数の古稀である。
 紅葉は全山に3000本あるといわれ、京都屈指の紅葉の名所。ライトアップされた境内の紅葉が方生池に映し出される様子、多宝塔を包み込むように囲む様子は幻想的であった。

 今年は消費電力の少ないLEDの導入によって559台のうち9割を導入して約1割を削減されるという。
 平日でも大変な混雑ぶり。午後5時からライトアップするのに一般者の行列が続く。バスツアーの人たちは別の入口から先に入ることができてラッキーであった。撮影に三脚が使えず手持ち夜間撮影だったので難しい撮影であった。



斬新なデザインと彩色の長谷川等伯の作品も見られる
    



    



    



    


阿弥陀堂
ご本尊「みかえり阿弥陀」がまつられている本堂

    


方生池に映し出される橋。極楽橋からは絶景の撮影スポット。
    



  多宝塔
上部は円形、下部は方形の二重塔
  


境内を染め上げる紅葉
    
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