所在地  香川県丸亀市             
種類  輪郭式・平山城             
天守  独立式・三重三階           
築城 慶長2年(1597)生駒親正      
主な城主 生駒氏・山崎氏・京極氏     
主な遺構 天守・大手一の門・御殿表門など
特徴・見所                      
○「石垣の城」といわれる石垣の美しさで有名
○天守は全国現存する木造天守12城のひとつ




 
 今回、現存する天守12城の丸亀城・備中松山城・松江城と近代的な岡山城の4つの城めぐりをした。車で自宅を午前3時に出発、北陸高速道に入り、名神、鳴門海峡を渡り、四国の入り口香川県の丸亀城に着いたのは午前8時、まず丸亀城をめぐり、その後、瀬戸大橋を渡り、岡山県の岡山城・後楽園、岡山市内で一泊、早朝に出発、岡山高速道の中に高梁市にある3つ目の備中松山城に到着、午後から米子高速道を経由して途中、素晴らしい大山を眺めながら車を走らせ、松江市にある松江城を見学、夕方には松江市を出発、中国・名神・北陸高速道を乗り継いで深夜に帰宅できた。車の総距離は1500kmに達していた。よく走ったものである。
 丸亀城は丸亀平野の北端に位置する亀山(標高約66m)に築かれた平山城で、平地に内堀、外堀を巡らせ、亀山を4段に取り巻いて石垣を築き、いわゆる螺旋式築城式によって築かれた。石垣の高いところは60メートルあまり、石組は「扇の勾配」と呼ばれる緩やかな曲線を描いて、城全体に雄大さ優美さを与えている。そのため、丸亀城は「石垣の名城」として名高いのである。
 近世城郭としては、豊臣秀吉政権下に讃岐17万石を与えられた生駒親正が慶長2年高松城の支城として築いたことが城のはじまりとされる。本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪・山下曲輪があり、東西540m、南北460mの内堀内約20万㎡が史跡範囲である。

 リンクへ    備中松山城   松江城
                 城主に殺された石垣づくりの技術者
 丸亀城の石垣は、羽坂重三郎という技術者が築いたと言われ、当時の藩主がその高さを褒め称えたところ、重三郎は「わたしなら上ってみせます」と2本の棒を石垣のすき間に差し込み、それらを足場にして軽々とのぼってしまった。藩主は「こやつが敵に通じてはまづい」と感じ、重三郎を井戸に生き埋めにしまったという。

 

内堀沿いの道路から内堀と大手門越しに眺めた丸亀城

 
    正面玄関にあたる大手一の門と二の門(重要文化財)
    中央が大手二の門の高麗門、右側の白壁の櫓門は大手一の門



内堀には白鳥の姿も見えるが鯉や亀も多い




大手二の門は高麗門形式の外門。
寛文10年(1670)の京極氏のときに完成した。


 

左側の一の門は櫓に太鼓を置き、城下に刻を知らせることから太鼓門とも言われる。
大手門形式が枡形虎口(四角形の空欄)になっており、南北18m、東西20mと大きい。

 



   御殿表門
山下御殿玄関先の御門は武家の邸宅に使用されてきた格式高い薬医門
      (門の鏡柱と控柱の上に大きな切り妻造りの屋根をかけわたした門)の形式                 



見返り坂
坂が急で途中で振り返って見ることから見返り坂という


 
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この坂の右手に三の丸を守っている高い巨大な石垣が見られる
丸亀城の中で最も高い22メートルもある巨大な石垣。

 

折り返し急坂を上がると三の丸に着く。

 
三の丸から讃岐富士と称される飯野山と市街を望む


 

三の丸の高石垣と月見櫓跡。



三の丸広場

 
二の丸の井戸
z城の最高所にあり、現在も水をたたえ、深さは約65m、築城に関わる悲しい伝説も残る。



二の丸跡は訪れたときは桜が満開でした

 

二の丸から坂を上がると本丸に着く。
らせん階段のように幾重にも連なる高い石垣と、そこにちょこと
鎮座する天守は極めて珍しい城郭である。


 

                二の丸、三の丸を渦巻き状に取り巻く石垣。
                標高66メートルの亀山に4段かつ扇形に
                築かれた石垣は全国に類をみない威容を誇る。


 

本丸から見た天守。南面には二層に向唐破風が見られる。
西面には入り口と小:形の三層に千鳥破風はあるがシンプルな外観。
 
                             

 
丸亀城の天守は、二重三階ながら現存12天守の中で最小である。
小さな天守を大きく見せようと、あれこれ工夫がされている。


  
二層の向唐破風と格子窓を飾る

 

天守と桜の組み合わせはお城を引きつける撮影ポイント

 
  
石垣と鮮やかなコントラストの白亜の天守は、全国でも珍しい木造天守。  
       



三の丸から望む天守

正面にあたる北面は唐破風と出窓で装飾されている。
左隅には出窓の張り出しを設け、素朴な格子を付けてデザイン性のある
石落しにし、二重目には唐破風の落ち着いた品格にして工夫している。
手前の石垣は長崎櫓跡である。 




本丸石垣群の下で桜見をする家族




二の丸の曲輪(くるわ)には各々の櫓跡がある 


 
一間ごとにすべて柱が建つ総柱形式、
間仕切りがなく、一階全体で一室となる。
 
小ぶりの天守で急階段
 
狭間と格子窓

天守の屋根裏は昭和25年に
天守の解体修理で古さは感じない
 
天守内部の石落し
 
各階は居住性は考慮されていない。


入母屋造り、本瓦葺きの櫓門の大手一の門(太鼓門)

 
太鼓門の内部には太鼓と展示品が飾られている

 
天守の鯱瓦も太鼓門に飾られている

 文筆は一部「丸亀城を歩く」ガイドブック、
パンフレットなどから参照させていただきました