33アクセスは車で岡山自動車道/賀陽ICより20分


番号は撮影番号です
  岡山西南部、高梁市にそびえる臥牛山は大松山、天神の丸、小松山、前山の4つにの峰で形成されている。もともとこの大松山に鎌倉時代の地頭の秋庭重信が砦をきずいたのが備中松山城の始まりといわれ、戦国期を通じて縄張りが変化し、いつしか臥牛山全域に曲輪が張り巡らせた巨大な山城へと変化した。
 現在の形となったのは江戸時代に入ってからで、天和年間(1681~1684)に水谷勝宗が大改修を行い、全国的に珍しい近世城郭の山城が誕生した。
(近世城郭の文字をクリックすると近世式図が表示します)
 
本丸は標高430mの小松山山頂に整備され本丸・二の丸・三の丸が階段状に築かれた山城で鎌倉時代築かれた。戦国期には毛利氏の領地となった。江戸期には幕府の直轄地となり、のちに5万石で板倉氏が入った。現存する12天守のうち唯一の山城に建つ天守で、城下町には武家屋敷や小堀遠州が築いた庭園も残る。
 本丸の道のりは現在でも徒歩のみであり、その行程で目にする石垣群は他の山城では見られない大規模なもの、自然の岩盤と人工的な石積みが見事に融合している。
 

 
中腹のふいご峠駐車場
ここの駐車場は14台のスペースしかないので、土・日曜日の混雑には
ふもとからシャトルバスが出ているので利用した方がよい。

 
    てくてくと山道を歩いて20分ほど登って森を抜ける石垣が見えている。   
                     



途中、登城心得の看板がある。やさしい城主が励ましてくれる。


 

比較的、山道は整備されていて登りやすい。

 


   
    最初のお城の入口は複雑な石垣になっている。いよいよ、お城に突入・・・                       



 本丸に向かって進む   
                        


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大手門跡入口の平櫓跡から見たところ。右側に天然の巨大な岩盤
に石垣が積み重ねられている。これでは敵は攻め上がれないであろう。

 

①大手門跡
2回クランクする枡形虎口。石垣の上に櫓が建っていたのであろう。



 

②二ノ平櫓跡



 

③三の平櫓東土塀
全国的に珍しい現存の土塀。四角の矢狭間と
丸形の筒狭間が設けられている。


 
三の平櫓東土塀(国指定重要文化財)



④ 足軽箱番所跡(右側) 土塀あたりから見た石垣は圧巻である。

 
z足軽番所跡から見たところ。こちらも高石垣が印象的

 
三の平櫓跡
  
                             
  
⑤二の丸へ至る黒門跡

 
⑥二の丸跡
遠方に六の櫓、五の櫓、天守が見える。

 

   ⑦本丸から見た櫓と天守(右側)の外観は風格がある

山頂の平坦地を本丸として周辺を高石垣でぐるりと囲み、
  曲輪内に天守や櫓を密集して建て並べることで防備している。   
       




本丸入口
 
⑮五の平櫓

 

⑧土塀の向こうに見えるのは天守

 
  
⑨本丸の入口になる南御門
(復元)
木造本瓦葺き、棟門、開戸本丸の正門玄関
大手門について格式が高かったといわれる



 

⑩本丸内にある土塀

 

本丸内から見た左側から ⑪六の平櫓、⑨南御門、⑮五の平櫓(復元)
                  

 
備中松山城天守
  15世紀には備中兵乱という争奪戦が勃発するほど人気があったが、1873年(明治6年)の廃城令後は、何度も競売にかけられた挙句に破格で落札され、取り壊す費用がなく捨てられるという運命になった。しかし、結果的にそのおかげで現在まで生き残っているのは不思議であった。そのワケは破却済という嘘の報告で表面上は抹殺されながら、山中に隠れていた。建造物の多くはくち果たしてしまったが、天守と二重櫓は空襲にも逃れて生存、備中松山城は山に守られて時空を超えて復活し、神秘的な城に生まれ変ったのである。
 天守は木造二重二階。高さ11m、 1階平面14×10mの小規模天守である。しかし、山の最高所の岩盤と石垣を積み上げたところに築かれたことで、見た目の高さから存在感が強調されている。


 
廊下の内部
左側は採光の窓と右側は石垣で
中央の階段が天守の入口になる
 

        
 

    
   
   
 
   
 
当時の天守の鯱瓦


天守二階の小屋組
天井が張られていないため、
太い木材を使用した小屋組
 
二階には宝剣などが飾られている



御社壇という神棚が見られる

 
天守東面
囲炉裏のある突出部で入母屋造で下見張。縦格子漆喰塗の窓3ヶ所


 
⑮本丸からみた本丸東御門


 

折れ曲がり出窓


 

一段高いところから眺めた本丸跡


 

⑫二重櫓(国指定重要文化財)
城内には平櫓が多いが、二層のものは天守とこの櫓ぐらい


 
⑫二重櫓(国指定重要文化材)
荒々しいむき出しの岩盤に建つ二層二階建て二重櫓
南北2つの出入り口は、北は後曲輪、南は天守に継っている。


 
⑬後曲輪


 

⑭本丸東御門
木造本瓦葺き、棟門、引戸、天守の東側にあり、本丸の勝手口。


 

本丸を囲む石垣上の土塀向こうに「五の平櫓」が見える


 

帰り道にも城主の丁寧な看板が立っている


 



晩秋から冬の間には雲海が発生し、幻想的な景観が見られる。雲海に浮かぶお城が見られるのは「武田城雲海」とここだけ。また、12月~2月には雪化粧したお城が雲海に浮かぶ。雲海の撮影スポットは、木で組まれた
展望台から天守と二重櫓を見下ろす形で眺望できる。(写真はパンフレットから提供)                     
         

 文筆は一部「備中松山城を歩く」ガイドブック、
パンフレットなどから参照させていただきました