⑧備中松山城天守
15世紀には備中兵乱という争奪戦が勃発するほど人気があったが、1873年(明治6年)の廃城令後は、何度も競売にかけられた挙句に破格で落札され、取り壊す費用がなく捨てられるという運命になった。しかし、結果的にそのおかげで現在まで生き残っているのは不思議であった。そのワケは破却済という嘘の報告で表面上は抹殺されながら、山中に隠れていた。建造物の多くはくち果たしてしまったが、天守と二重櫓は空襲にも逃れて生存、備中松山城は山に守られて時空を超えて復活し、神秘的な城に生まれ変ったのである。
天守は木造二重二階。高さ11m、 1階平面14×10mの小規模天守である。しかし、山の最高所の岩盤と石垣を積み上げたところに築かれたことで、見た目の高さから存在感が強調されている。 |
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