山陰で唯一残る天守(現存天守12のひとつ。戦いのため堅固に築かれた名城
  宍道湖の湖畔にたたずむ中国地方屈指の名城である。関ヶ原の戦いで戦功をあげた出雲壱岐24万石を与えられた堀尾吉晴が1607年に築城。江戸時代には松平氏18万石の屋台骨となった。2001年には3つの櫓(太鼓櫓、中櫓、南櫓)が木造で復元され、現存する天守とともに当時の面影をよく再現されている。現存する建物の天守は重要文化財で、本丸、二の丸、三の丸はほぼ完存している。
松江城データ 
  ◎築城年 慶長16年(1611) ◎築城主 2代藩主 堀尾忠晴 
  ◎複合式望楼型四重五階天守、地下一階付き
  ◎一階床面積 447.23m ◎高さ 約30m(天守高さ22.43m石垣の高さ7.53m)
 



① 千鳥橋
   城内へ入るには4つの橋がかかっている。そのひとつが千鳥橋

 

 

②南口門

 
    ③南櫓
二の丸上段南面に配置された唯一の
二重櫓で城の南東方面を監視した。 
                     



④中櫓
南櫓、中櫓、太鼓櫓は明治8年に取り壊されたが
松江藩大工頭竹内u右兵衛の「松江城縄張図」
をもとに平成13年に約125年ぶりに復元された。


 

⑤太鼓櫓
二の丸上の段の北端に設けられた一重の櫓である。

 
 

太鼓櫓の内部
内部に太鼓が置かれ時を告げるのに使われる。
また、正面口を監視する目的もあった。



   
            二の丸上の段で花見をする人々                       



⑥松江神社
 明治10年に創建された。松平氏初代藩主直政を祭神としている   

                        

 
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二の門跡

 

南多聞櫓
当時、本丸の6ヶ所に2重櫓があり多聞櫓で結ばれていた。



 
⑦一の門
本丸正面入口に構えられた城門で、外枡形構造である。
昭和60年に復元され、右側には多聞櫓も復元されている。


 

南多聞櫓
多聞櫓は細長い長屋造りで、石垣と倉庫を兼ねている。


 
天守をバックに家族ずれの写真撮影が多く見られた。

 
⑨松江のシンボル松江城は、全国で12天守のひとつで、国指定重要文化財である。    
 望楼式--天守紀元のひとつは四方を展望できる望楼である。5階の最上階は手すり(高欄)を巡らし、壁のない360度展望のある望楼で、展望台司令塔の役割をなす。

鯱鉾--木彫銅張りで向かって左が雄で鯱があらく、右が雌。高さが2.08mあり日本現存の木造で は最大である。千鳥が羽を広げたような三角形の部分をいい、天守閣の美観を構成する重要な部分である。望楼とともに桃山時代の様式を継承している。          

下見板張り--姫路城や彦根城のような白壁は少なく、その大部分は黒く厚い雨覆板で覆われ古い様式を保っている。                           

華頭窓--3層の中央にある寺院様式の窓で一種の飾りである。                   

鬼瓦--各層の隅々にある鬼瓦は後世のものとは違って、角がほとんどなく、各一枚ごとに 異なった珍奇な表情を持っている。                           

野面積
--自然石をほとんど加工せず積み上げている。一見粗雑に見えるが、頑丈な積み方で古い形式がみられる。                               

付櫓--天守閣入口の防備をかたくするために取り付けた櫓で、入口鉄延板張りの大戸があり、入ると枡形の小広場が2段あって、侵入しにくくなっている。        

 
z四重五階地下一階天守は前面に付櫓を配する複合式天守で一、二重目は全面板張りとした望楼部を下見板張りとする。現存12の中で無骨で迫力の外観を持つ。

 
千鳥破風と鯱鉾と望楼式
鯱鉾は頭が虎で、胴体が魚、この構造が霊魚を鯱といい、
天守の屋根の頂上に上げて飾る天守の象徴のひとつ。

  
                             
 
     
天守(西面)と付櫓 


  
天守(南東面)

 
北の門

 
  
石垣の刻印
刻印は工事の分担や石切の区別、合わせ印など
土木工事が円滑かつ組織的に行うために付けられた記号である。   
       


⑪水の手門跡

 
⑫きりきり井戸跡

築城に際して石垣が崩れ、頭蓋骨が出てきたため、祈祷したところ
澄んだ水が出てきたのでそこを井戸にした。

 
  馬洗い池
馬を洗ったたところからこの名が付いた


 

井戸屋形(3×2.1m)後の石垣上は太鼓櫓 


 
お堀に浮かぶ屋形船


 
南側より見上げた二の丸上段。左より南櫓、太鼓櫓

                  

 
大手門跡。かってはここに櫓門が建てられていた。
櫻まつりの門を潜ると馬溜め、二の丸下段、石段を上がると
二の丸上段となり、復元された南壇、中櫓、太鼓櫓が建ち並ぶ。
例年、桜咲くころには桜まつりが行われる


 
天守の付櫓
 
天守の入口

突上戸と矢狭間と鉄砲狭間

 


 

    地下から一階に上がる階段
 

地階には、ろう城も考え、米や塩など
食料物資が保管されていた。


地階はろう城用の生活物資の貯蔵倉庫。
深さ約24メートル井戸があり、
常時飲料水が得られた。


 

天守地下に展示されている
銅板張り木造の鯱鉾
現存の鯱鉾では最大級で2.08メートル
 



天守に近づく敵に石落しや
鉄砲などで攻撃する狭間

 

2階分を貫く通し柱を効果的に配置するとともに上層の重さを分散させながら下層に伝える構造になっており、長大な柱を用いることなく、上層になるほど平面が縮小する天守という独特な構造の建築を可能にしたものである。
 
現存の松江天守の模型
 

天守内に展示されている武具
 

石打棚、下方への攻撃しやすいように
床板と窓と同じ高さになっている)
 
天守最上階
望楼式で東西南北に展望できる
 
桐の階段


 
天守の最上階(東面)からの市街を望む
手前は天守の鬼瓦


 
天守最上階(北面)から望む


 
天守最上階(南面)からの展望


 
天守最上階(南面)から本丸跡を望む
本丸跡に復元された南多聞櫓と一の門が継なぎになっている


 
天守最上階(西面)から松江市街を望む


 文筆は一部「松江城を歩く」ガイドブック、
パンフレットなどから参照させていただきました