仏御前の生涯(あらすじ)
仏御前は1160年加賀国原村(現:小松市原町)に生まれ、その後、京都で白拍子として名を挙げ、当時の権力者であった平清盛を訪ねる。その当時は清盛の寵愛を集めていた白拍子の妓王の誘いで、清盛の前で即興で今様を詠み、「君をはじめて見る折は、千代も経ぬべし姫小松 御前の池なる亀岡に、鶴こそむれゐてあそぶめれ」と歌って舞を見せ、清盛にいたく気に入れられ、寵愛を受けるようになる。(この物語は平家物語大巻6「妓王」に登場する)
しかし、反対に妓王は清盛に屋敷から追い出されることになる。そして。祇王は襖に「萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草いづれか秋にあはではつべき」と筆書きして館を出る。仏御前も「そのうち私も同じように捨てられてしまう・・・」と世の無常を感じ、妓王を追って17歳の1177年に清盛の元を離れ出家し、嵯峨野にある祇王寺に入寺する。祇王寺には仏御前、清盛から離れた妓王とその母、妹がおり、同じく仏門に励んだ。やがて、仏御前は清盛の子を身ごもっていることを知り帰郷。途中、吉野谷村の木滑で清盛の子を産むも死産。故郷、原町に着いた仏御前は静かに余生を過ごし、21歳の若さで亡くなったとされる。 |