マップをクリックすると拡大します
 今回、きままにぐるっと3泊4日の四国一周ドライブに出かけた。早朝を小松3時30分頃北陸高速道路に入り、名神、山陽経由で12時ごろに「しまなみ海道」に入る。9本の橋で結ばれた瀬戸内の島々を通り、途中に生口島の耕三寺に参拝。松山の道後温泉に予約無しで1泊を考えており、とにかく気ままな観光。そして、開場3000年の歴史を誇る道後温泉に着いたのは午後3時ごろ、すぐ、観光案内所で旅館を1泊2食12000円で予約、旅館に荷物を預け登城のリフトに乗り松山城の観光。残念ながら天守の入場は間にあわず、本丸広場から天守を眺めただけになった。そして、道後温泉本館の入浴でドライブの疲れを癒した。
 2日目は四国最南端の足摺岬と清流の四万十川の観光。朝9時旅館を出発。松山から足摺岬まで随分に距離がある。高速は松山高速道路だけで途中から一般道路かなり時間がかかりそうだ。足摺スカイラインから足摺岬に着いたのは午後1時ごろであった。豪快な景色を楽しみ一度、夕日が沈む夕暮れ時と灯台の点灯を見てみたい気持ち。こちらへ来る途中歩いているお遍路さんを何人も見かけたが、第37番岩本寺のお札所から足摺岬にある第38番目の金剛福寺まで90kmを超え、四国霊場間の最も離れた札所間であり、歩くとすれば数日かかる。まさに「修行の道場」といったところであろう。四国八十八ケ所ある中で今回は金剛福寺のお参りだけとなった。次に向かったのは清流の四万十川。遊覧の乗り場がわからずやっと案内所を見つけたのは午後4時、一箇所だけ乗船できる帆船を利用した。今日は高知で宿泊、これからだと午後7時ごろになりそうだ。途中、道の駅のパンフレットからホテルを探す。すぐ電話予約、ホテルでの夕食は無し。市内の中華料理にする。
 3日目、早朝、高知市内のよさこい節の「はりまや橋」朱色の太鼓橋で期待はずれ、松山城と同様に現存天守閣のある12城の中のひとつ高知城を入念に探索する。坂本龍馬ゆかりの地である桂浜。次に向かったのはを曲がりくねった山間を車を走らせて、看板には平家の落人が住んでいたと書かれている。そして、渓谷の大歩危・小歩危に到着。渓谷美の神秘とスリルを体験できるとカイドブックに書かれているが、目で見ると期待はずれ。遊覧船の乗船はパスする。そして近くの祖谷のかずら橋に向かう。山道を曲がりくねくねしながら車を走らせる。かずら橋を渡るにはスリルはあるが有料だとは驚きだ。
 今晩はことひら温泉の琴参閣に飛び込みで宿泊。この旅館の大浴場は薬草風呂などの湯船があって、3日間の筋肉痛の疲れに最適であった。
 4日目の最終日、いよいよ金刀比羅宮で御本宮までの長い階段をこの歳で上らなければならない。日頃、体を鍛えているが不安である。ゆっくりと仲間と登ることにした。本宮までの785段上ることができ、金刀比羅宮の本宮に参拝した。残念ながら奥社までは行けなかったがほぼ満足であった。今年の正月には伊勢神宮のお伊勢参りもしたので厄払いもできた。そして、瀬戸大橋の景色を眺め、山陽、名神、北陸高速道経由で午後6時無事帰宅した。
総走行距離は1700kmであった。
                     (黄色の部分をクリックすればリンクします)
 
 

 

  6つの島々を9つの橋でつなぐ瀬戸内海の絶景は撮影のスポットである。この橋は生口橋という。
 生口橋は因島と生口島と結ぶファン型斜張橋として開通。橋長790m、空中から放射されたようなケーブルが優雅なハープや鳥の羽ばたく姿を連想される美しい橋である。

   

しまなみ海道にかかる 吊橋のケーブルの実物大
下の看板は説明板     
しまなみ海道に架かる橋の詳細はこちら

   

しまなみ海道にかかる 吊橋のケーブル断面の実物大
下の看板は説明板     
 
この画面をクリックすると拡大します

 
 鉄鋼業で財をなした実業家の耕三寺耕三が母の菩提寺として昭和11年から30年余りの歳月をかけて建立した浄土真宗のお寺。堂塔のうち15棟は登録有形文化財に指定されている。日光東照宮陽明門を模した孝養門の「西の日光」と呼ばれるゆえん。境内には全国の名刹を復元した建造物がところ狭しと立ち並んでいる。

 

耕三寺の正面入口


   

 

「西の日光」と呼ばれる孝養門

 三

多宝塔
の滝

 
                        

 

未来心の丘

イタリアから運んだ白い大理石で作られた庭園で、
5000u余りの敷地には、約3000tの大理石を使って
大小さまざまなモニュメントが作られている。



光明の塔
 
 道後温泉本館は1894年建造の木造三層楼の公衆浴場としては全国で初めて重要文化財に指定、当時の面影がそのまま残る。館内に一歩入ると浴室、休養室などが細い廊下や階段で複雑に結ばれ、由緒ある道後の湯を源泉流しで贅沢に楽しめるのも魅力のひとつである。
また、入り組んだ「神の湯」「霊の湯」の2種類がある。

   
     道後温泉本館正面     

 


 

道後温泉本館の全景

 
                        
ぼっちゃんの間

松山中学の英語教師だった
夏目漱石ゆかりの3階にある個室


 
ぼっちゃん列車

 松山城下をのどかに走る、かわいらしい
小型蒸気機関車 明治の香りが漂う坊ちゃん列車
      に乗って片道15分のんびり旅ができる。
                      

   

 この松山城の画面をクリックすると松山探訪のページが開きます
 

 
 

 

足摺岬灯台

足摺岬の先端、約80mの断崖の上に立つ
高さ18mの灯台、1914年(大正4年)に初点灯され、
今も行き交う安全を見守る。光度220万カンデラ、
光到達距離38kmを誇る
               

 

足がすくむような断崖に白亜の灯台が
立つ足摺岬は四国屈指のビューポイント。
断崖と海と空が豪快な風景を作り出す。


 
                        
足摺岬自然遊歩道をしばらく歩くと灯台に着く。


 
                        
白山洞門

黒潮によってつくられた海蝕洞門で。足摺岬の西方にある。
足摺岬周辺には海蝕洞が数多く見られるが、白山洞門が
最大規模である。高さ16m、幅17mで花崗岩の海蝕洞では
   日本一の規模である。                               


 
  弘仁13年(822年)に、嵯峨天皇から「補陀洛東門」の勅額を受けた空海(弘法大師)が、三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建てて安置し開創したという。空海が唐から帰国の前に有縁の地を求めて東に向かって投げたといわれる五鈷杵は足摺岬に飛来したといわれている。
 歴代天皇の祈願所とされたほか、源氏の信仰が篤く、源満仲は多宝塔を寄進、その子頼光は諸堂を整備した。平安時代後期には観音霊場として信仰され、後深草天皇の女御の使者や和泉式部なども参詣している。室町時代には尊海法親王が住職を勤め、一条家の庇護を受けた。戦国期に一時荒廃したが江戸時代に入っても土佐藩2代藩主山内忠義が再興した。
                                 (以上Wikipediaより)



金剛福寺の仁王門

お遍路さんはここで一礼して境内へ入ります。

 

本堂


 

本堂の裏には寄進された地蔵が整然と並んでいる

 

金剛福寺の庭園

 

亀の石像は「大師亀」と呼ばれ、願いを込めて
頭をなでればご利益があるといわれています。


 

鐘楼


 

大師堂

 

納経軸

納経軸はハ十八ケ所をまわって結願できたら
表具して仏間や床の間に泰安して勤行し、
子孫に家宝として伝えるそうです。

 

 

船内でカイドの説明を聞く

 

帆船を漕ぐ船頭

 

以前に昼食をとりながら屋形船での遊覧をしたことが
あるがゆったりと四万十川を眺めながらの遊覧も良い。


 

高知県西南地域を流れる日本最後の清流。
長さは196kmにも及び、豊かな生物や多彩な
植物など流域には日本の原風景を思わせるような
自然が残っている。                   


 

沈下橋

水面からの高さが低く、増水時に川に沈むように
設計されたことからこの名前がついた。流木など壊れ
ないように欄干がないのが特徴。水害が多い
四万十川には本流、支流を含め47の沈下橋がある。


 

折り返しの場所で河原で寛ぎ、ガイドの説明を聞く

 

アユは汽水と淡水の境目で産卵し、
日本最大級の川魚「アカメ」は2m以上に成長する。

 

清流の汽水域でしか採れない貴重な天然青のりは
四万十川産が国内の90%以上の生産量を誇る。
 
 土佐藩24万石の城下町として栄えた高知市、龍馬像が立つ桂浜や、重要文化財の高知城などの観光スポット、そして「カツオのたたき」のグルメもおいしい。

 

宿泊のホテルの屋上から高知城を撮影
高知城の詳細はこの画面をクリックすると
高知城探訪とリンクします。

 
            はりまや橋

  よさこい節で歌われたはりまや橋は、江戸初期の豪商、播磨屋宗徳と櫃屋道清が両家を往来するために架けた橋。 

 

江戸時代の姿を再現した朱塗りの太鼓橋

 

龍頭岬と龍王岬に弓なりに広がる白砂青松の美しい桂浜

 

桂浜
龍馬が幼ない頃に遊んだといわれる高知きっての景勝地

 

坂本龍馬像
太平洋の彼方を見つめる龍頭岬の龍馬像。
高さは台座を含めて約13.5m


   
      
        坂本龍馬記念館
 

京都近江屋で最期を遂げた龍馬の後ろにかかっていたもの。
屏風は同じ近江屋で中岡慎太郎の横にあったもの
血痕が53ケ所残っている。              
                     坂本龍馬記念館資料より掲載
 
寺田屋で幕府役人に襲われたが龍馬は、高杉晋作から譲り受けた同型のピストルで危機を脱した。
 

 

坂本龍馬が暗殺された京都近江屋の復元
(坂本龍馬記念館内)

 
 
 

山に自生するシラクチカズラのつるを編んだ橋。
深い谷に流れる祖谷川に架けられている。

 

渡ると一歩踏み出すことにギシギシときしみスリル満点
長さ45m、幅2m、下を流れる祖谷川水面からは14mある

 

日本三大奇橋のひとつで重要文化財
 
 

祖谷は四国山地の谷あい。山奥不覚に広がる秘境。
平家の落人が開いたという伝説も残る。

 

四国山地を横切る吉野川の激流に四国
山脈の結晶片岩が削られてできた渓谷



 

谷を泳ぐ鯉のぼりは壮観
大歩危峡谷の真ん中あたりのレストラン
付近から出航し、千畳敷まで往復する30分のコース。
むき出しの岩肌が迫り、その間を縫うように進む


 

2億年もの時をへて大自然が作り出した風景は圧巻。
巨大奇岩が5kmも続く大歩危の下流には、
曲がりくねった流れの速い小歩危がある。


 
 
「こんぴらさん」の愛称で親しまれている金刀比毘羅宮は四国髄一のパワースポット、長い石段を上がって幸せを願う。
 標高521mの象頭山の中腹に建つ。五穀豊穣や海上安全等のご利益を求めて、毎年全国から多くの参拝者が訪れる。参道からの奥社の厳魂神社までは長い石段が続き、二層入母屋造り瓦葺きの大門をくぐると境内になる。
 海上交通の守り神として知られ、全国的にも知名度の高い金刀比毘羅宮は、名物の長い階段は御本宮まで785段、奥社まで1368段を数える。上りきったときは達成感が・・・。広い境内は見所がいっぱい。まずは御本宮までを目指して上る。 

 

登山かご
ちなみにお値段は大門まで365段で
往復6800円 登り5300円 下り3200円 
 体重制限100kg制限

 

大門

初代高松藩主 松平頼重により寄進された。
二層入母屋瓦葺きの総門

 

大門から150m続く石畳の道
ここには寄贈された玉垣が並ぶ
玉垣には金 百万円なり・・・

 

大鳥居

大鳥居は銅でできており、独特の風合いを醸し出している。

 

旭社

高さ18mの大型社殿。もともと神仏分離が
行われる前の松尾寺の金堂で、1837年に建立、
その建築に40年の歳月が掛かったといわれる。
二層入母屋造りの社殿は随所に精巧な彫刻が
施されている (重要文化財)        


 

この階段を上れば御本宮

 

御本宮の正面

大物主神と崇徳天皇を祀る金刀比毘羅宮の御本宮

 

御本宮の全景

 

本宮前にある立派なクスノキの神木

 

絵馬殿
大漁祈願、家内安全などの絵馬が並ぶ




ここから奥社まで583段はきつい・・今度にしよう。




讃岐うどん

地元の「小松うどん」を食べているが、麺に温かいだしを
かけた讃岐うどんは、ほどよいコシがあっておいしい


 最初に戻る