イスラム統治時代の学問都市
 紀元前にローマ帝国によって建設されたコルドバは、10世紀、西カリフ帝国の自体に全盛期を迎える。当時の人口は100万人近くに達し、市内には300ものイスラム寺院があったという。寺院の学問を学ぶ場で文献が翻訳され、多くの知識人が輩出された。1236年、フェルナンド3世によるレコンキスタでコルドバからイスラム勢は追放されたが、8世紀の建造物であるメスキーターを中心とする旧市街にはイスラム風の建築や迷路のような路地が多く、当時の繁栄ぶりがうかがえる。
 

Dローマ橋付近の古風な水車

 

D

 

全長ローマ橋は16のアーチで支えられ、紀元後ローマ帝国
によって本格的なコルドバの都市計画が始まつた頃に架けられた。

 


メスキータの西にたたずむ建物は、そのゴシック様式の
ファザートの美しさがコルドバ有数といわれています。

 

かってアラブ城壁の一部だったプエンテ門

プオンテ門は1571年、エルナン・ルイス3世によってルネッサンス
様式で回収され、その後、1928年には内装も行われた。


 

 

 


メスキータの西側ファザート

           
 

メスキータの西側ファザート外壁装飾

 
 メスキータの北側に広がる旧ユダヤ居住区。白い家並みと迷路のような小路が続く。西側の城壁近くにはユダヤ教会がある。メスキータの塔が見える「花の小路」は人気の写真スポットである。



家々の縁側には花が飾られているのが目立つ






ユダヤ人街の東側の入り口にある有名な写真スポット「花の小路」






ギターでスペイン民謡「禁じられた遊び」を演奏する市民



お店に入る人や待ち合う旅友

 
 メスキータとはスペイン語でイスラム教寺院のこと。後ウマイヤ王朝の創始者アブド・アッラフマーン1世の命を帯び、785年に建てられた。その後、4回増築され、数万人を収容できる巨大なモスクとなった。しかし、13世紀キリスト教統治時代には内部にカテドラルが造られ、イスラム教とキリスト教の2つが共存する珍しい建物となった。薄暗い闇の中に浮かび上がる赤茶と白い馬蹄形のアーチは幻想的な美しさがある。



高さ54mの鐘楼はコルドバで最も高い建物



免罪の門の横にそびえるイスラム寺院の尖塔。
現在は16〜17世紀にかけて建てられた。



鐘楼とオレンジの中庭



「免罪の門」からメスキータへ出入りする



「礼拝の間」の空間を木のように円柱が並ぶ。
内部には、約850本もの円柱が林立する。



赤レンガと白い石を組み合わせた、馬蹄形の
二重のアーチで天井を支えている。



イスラム寺院で最も珍重されている建築要素が天井を
支える。これは、世界でも類を見ない斬新なものである。



壁画にも彫刻が刻まれている



ミフラブにはコーランの一部が刻まれている。
メッカの方向を示す壁のくぼみは最も重要な場所のひとつ。
当時の技術が凝縮された精緻な細工である

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マクスラ、宗教の垣根を越えた美しい空間
ミフラブとはイスラムの聖地メッカを指し示す目印。
マクスラとはミフラブを強調する空間をいう。




マヨールマヨール礼拝堂の円形天井




絢爛豪華なマヨール礼拝堂
キリスト教徒によって増築された部分で、円形の天井
部分は内側に光が差し込む構造になっている


 
 マンチャ地方の小さな町であるコンスエグラはマドリッドからほぼ真南の方向に約100km離れたところの丘陵地帯に風車群があります。人口は1万人で主な産業は農業です。
ラ・マンチャはご存知のようにセルバンテスの名作「ドン・キホーテ」の舞台。作品の中でドン・キホーテが風車に突っ込んでいくシーンはあまりにも有名です。




丘陵地帯から眺めたコンスエグラの街並み
褐色の屋根が乾燥の台地に似合う。



狭い道をバスが登っていくと廃墟のような
ところに観光用の風車が見えてくる



小さい村にあるかわいいお土産店






丘陵地帯にある城壁