特徴
①滑らかな弧を描く清正流石垣
②複雑に屈曲するルート
③宇土櫓など12棟の櫓が現存
所在地 熊本市中央区本丸1-1
種類 梯郭式・平山城
天守 望楼式、三重六階地下一階 築城 1607年(慶長12) 加藤清正
主な城主 加藤氏・細川氏
主な遺構 (国重文)宇土櫓、北十八間櫓、不開門など13棟
城内マップ
あらまし
熊本城のあった地には室町時代から隅本(くまもと)城といった城があった。当時は肥後北半を領した加藤清正はこの隅本古城を居城としたのである。関ヶ原の合戦後、肥後一国52万石の領主となった清正が改めて古城の東にあり、その周囲を流れる坪井川を天然の濠とできる茶臼山を中心に近世城郭として築き直したのが熊本城である。
熊本城の特徴はなんといってもその石垣の見事さである。清正は穴太衆を多く抱え、さらに朝鮮の役で大陸の築城、石組みを実見し、現地でも築城を経験し、さらに石垣構築の技術を高めたとされる
江戸城、名古屋城など天下普請にも清正は参加しているので、清正構築の石垣は他でも見ることができる。やはり熊本城の壮大で清正流の扇の勾配の石垣は見逃せない。
熊本城には壮大な石垣とともに大小天守をはじめ、通常の城では天守クラスの規模の櫓も多く築かれた。宇土櫓など一部を除き、その多くは西南戦争の際に焼失、1960年に大小天守だけは復元されていた。
形の全景
長堀
全長は242mもあり、お城の堀では現存日本最長。竹の丸東橋の
馬具櫓から西側の平櫓にかけて延々と続く。すらりとしたラインが美しい。
使った江戸城の正門
麗門と櫓
門からなる日本最大の内枡形門で
長堀に沿った長塀の内側から桜の花びらが塀越しに顔を出す
永 ①大手門
馬具櫓
加藤清正公像
生まれは尾張の国。豊臣秀吉と同郷だけでなく、血縁関係にある。
9歳で秀吉の小姓となった清正は、その後功績を挙げ、天正11年(1583)の
賎ケ岳の戦いでは「七本槍」の一人に数えられた。そして、天正16年(1588)肥後
の統治に失敗した佐々成政の後を受け、小西行長とともに入国、肥後の北半分を
領する大名となった。清正が27歳の時である。
長塀の向側に見える飯田丸五階櫓
飯田丸五階櫓
下馬橋跡
櫨方門(はぜかたもん)
熊本城は複雑に折れ曲がる通路。石垣を大胆に
屈折させて徹底的に側面攻撃を仕掛ける
正面に見えるのは馬具櫓
隙
櫨方門(はぜかたもん)から進み入場料500円を支払って入城する。
隙
飯田丸五階櫓
飯田丸の南西隅に建つ五階建ての櫓で加藤清正の重臣の飯田覚兵衛が管理。
南西防衛の要であり、内部には台所、井戸、鉄砲蔵など設けてあり、
出撃することが可能、つまり小さな城の役目を果たしている。
隙
飯田丸から竹の丸への通路
隙
竹の丸から望んだ飯田丸櫓跡など石垣と本丸の眺め
竹の丸から飯田丸への最強の虎口
(出入口)
熊本城では「平山城肥後国熊本城廻絵図」
ひしめく高石垣上には全盛時、飯田丸隅櫓、飯田丸三階櫓、竹の丸五階櫓などが敵に横矢をかけようとそびえていた。虎口の通路を折り曲げて、侵入を難しくするのが防御の基本であるが絵図のように実に六つのの折り曲げが設けられていた。
隙
竹の丸から見る石垣と天守を収め幾重にも連なる石垣が雄大な撮影スポットである。
必見は竹の丸から天守に向かう道のり
枡形虎口
を連続させ、
360度が攻撃面になるように独立櫓まで建っている。
石垣の上にずらりと建ち並び頭上から集中攻撃させるとしたら逃げ場もない。
攻めにくく守りやすい設計になっている。
階段の歩幅や段差がまちまちなのは、スムーズな歩行を阻止する工夫がなされている。
本丸南西隅の「二様の石垣」
加藤清正による緩やかな弧を描く石垣と、後に細川氏が外側に
築いた急激に立ち上がる石垣が並んでいることから、そう呼ばれた。
通路下から望む左側の天守と手前は本丸御殿
通路の両脇にそびえる石垣も大胆に屈曲し、幾重にも重なる石垣群の迫力は圧巻である。
大天守(右)と小天守(左)2つは繋がった典型的な連立天守になっている。
大天守は3層6階地下1階、高さ約30m。小天守は2層4階で高さ約19m。天守台の石垣は下は30度で滑らかであるが、上端では75度の絶壁となっている「武者返し」であり、郷土と石垣として防御性を合わせ持った優れた造りである。両天守とも最上階は展望室になっている。
大天守
小天守
南側の正面から見た大天守と小天守
茶臼山の最高所で凛と建つ2つの天守は黒い下見板張りと白い漆喰壁コントラスト
が魅力、破風などの装飾コンビネーションが生み出すバランス美、無骨なのにどこか
優美な印象である。巨大な白い梁が石垣の天端からはみ出しているのは、
重量を分散して圧力を軽減しつつ、石落としを設けるため、大天守小天守が
付属して連結式天守である。
大天守・小天守の本丸に通ずる通路
通路から見た大天守
本丸御殿に入るための地下通路は
闇り(くらがり)通路
といわれ、全国的にも珍しい
構造に注目する。御殿は2つの石垣を跨ぐように造られ、巨大な柱が並び、石垣に掛けら
れた梁は江戸時代の昔を想起させる地下通路を造る必要があった。ここが御殿の正式な
入口であった
北側から見た大天守・小天守
千鳥破風主体の戦闘的感じがする大天守と桜
南側からみた大天守と小天守
茶臼山の最高所で凛と建つ2つの天守の連結式
天守入り口
昭和35年に天守とともに製作された大天守の鯱、
左は大天守用の高さ155cm、右は小天守用の高130cm
月見橋
大天守の最上階の展望室
月見橋
大天守の展望室から見た本丸御殿
小天
展望室から見た
小天守
本丸御殿 御殿の内部の詳細は
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宇
戸櫓
宇土櫓(国重文)
本丸の北西隅20mの高い石垣の上に建つ3層5階地下1階。
地上約19mの櫓で、頂部には鯱が飾り、天守並の構造と大きさであり、第3の天守
ともいわれる。焼失せず創建当時の内部が残る。ただし、築城当時は
大小天守以外にこの規模の五階櫓が明治初年まで6つの櫓存在していた。
宇土櫓に通ずる入口
宇土櫓の展望階から見た西大手門
櫓
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平櫓
不開門への入り口にそびえて建つ現存櫓のひとつ。壁のような
高石垣に出っ張るように突き出して乗っかっている。
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不開門
不吉とされる鬼門の方角にあたるため、普段は閉ざされて
いたことが名前の由来。城内唯一の現存城門
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不開門から出てしばらく進むと5つの櫓が並んでいる。そのひとつが七間櫓
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頬当御門(ほほあてごもん)に出ると西出丸広場になる
西出丸広場から見た宇土櫓
(左端)
西出丸の曲輪の隅を押さえた「戌亥櫓」
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西出丸から見た宇土櫓。
城内NO.1の高石垣に建つ圧巻の姿は必見
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西出丸から見た左側から宇土櫓、小天守、大天守
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西大手櫓門
熊本城の中枢部の正門
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西出丸に通ずる門
西大手門は上のイラストのように通路左右に堀を配し土橋とすることで通路を規制し、
さらに折れを入れることで、敵の直進を防ぐ工夫が施されている。
奉行丸の外側から未申櫓を見る
平成12年より西出丸一帯の復元工事に着手。
平成15年に
戌亥櫓、未申櫓が完成。
土塀と
池に映る戌亥櫓
桜幹から覗いての桜と未申櫓
長い石垣の隅櫓である未申櫓
桜と
桜見する観光客
桜
と
未申櫓
木造二重三階の隅櫓で建築面積約65㎡、建築費約3億円で
平成15年8月復元西出丸の未申(南西)の方向に位置する
桜に包まれる未申櫓
桜の馬場・城彩苑から見た未申櫓
桜を写真収める外国人。
熊本城を見学して
なんと外人の観光客の多いことか・・・・
桜と
南大手櫓門
西向きの城である熊本城は本丸の全面を防備する西出丸には
南、北、西の3つの大手門のほか隅櫓が設けられ、本丸を防備する。
その中で一番大きいのが南大手櫓門である。
南大手櫓門は平成14年10月に復元。建築費約6億1千万円
現在は城内の入口として使われていないので人通りは少ない。
桜と
天守のライトアップ
文筆は一部「熊本城」ガイドブックや
パンフレットなどから参照させていただきました
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