撮影日 平成27年3月31日
    
  
   通称   森岳城、高来城
  城郭構造 連郭式平城
  天守構造 独立式層塔型4重5階(非現存)
  復興    独立式層塔型5重5階
  築城    松倉重政
  築年    寛永元年(1624)
  主な城主 松倉氏 、松平氏
  遺構    石垣、堀


 

島原島原城の周辺マップ


島原城内マップ

  島原城を築いたのは、1616年(元和2)に大和五条から島原にきた松倉重政である。1618年(元和4)に築城に着手し、4年~7年の歳月をかけて完成させた。城は南北に長い長方形の形した外郭の内側に、南から本丸、二の丸、三の丸が一列に並んでいた。
 現在、本丸と二の丸は、島原城跡公園として親しまれている。本丸には天守と3基の三重櫓など復興され、二の丸には島原文化会館などが建てられている。藩主の御殿があった三の丸は、島原市立小学校や島原高等学校となっている。
 城の遺構としては、本丸、二の丸を囲む堀や石垣の残りがよい。また、東西やく360m、南北約1260m、7基の城門と33の平櫓を配置していた外郭も大手門跡をはじめ、当時の石垣が残る場所がある。


  

              熊本市内からバスで約1時間のところにある熊本港


  

            熊本港から有明海を渡ってフェリーで30分乗船、島原港へ  

 

 
    
                     乗船内でカモメにえさをやる乗客


  

          

 

島原城の本丸南西からの石垣




本丸南西からの天守、西櫓を見る







天守閣は、元和2年(1616)の築城時から明治8年(1875)の破却まで存続し続けました。
外観は破風が一切無く、どこか単調に見えますが、その分他のお城にはない特徴を持っていると
いえます。現在の天守閣は古い絵図などを参考に昭和39年(1964)再建されたそうですが、
築城時には海鼠壁が四層目まであったらしいなど、あまり正確ではないとのことです。



 

 
                      パンフレットより転載                    

 
パンフレットより転載



天守の入口


 

 天守の入口で太鼓と横笛でお出迎え



天守の入口で城内の案内をするスタッフ




天守内には展示品として島原藩に伝わる兜などが陳列されている






最上階の展望台


屋根は天守最上階から普賢岳を望む

 

丑寅三重櫓
1980年に復興された丑寅三重櫓は民具資料館と
なっており、なつかしい民具の数々が並ぶ。
 



   巽櫓付近には西望記念館として日本彫刻の巨匠の作品が展示されている




巽櫓(たつみやぐら)
島原城に3基あった三重櫓のひとつで、
巽櫓は北村西望記念館として使用されている。
日本彫刻界の巨匠である文化勲章を受章した郷土出身の芸術家
北村西望の代表作約60点を展示した他に類のない彫刻芸術の施設である。





御馬見所
登録有形文化財となった島原城御馬見。もともと三の丸にあり、
移築されたものは幕末、藩士の軍事訓練の視察に使用していた。


 
破風が一切ないシンプルな島原城の層塔型天守(正面)

 

天守まで車が直接に入ることができる駐車場



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西三重櫓
島原城に3基あった三重櫓のひとつで、1960年に城内で最も早く復興された。
入口は切り妻破風で、内部では全国の城の絵やさまざまなコケシを展示している。
天守よりも一段高いところに建っている。



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城内へ続く坂道(車道)から西三重櫓を望む


 
橋の上から本丸西側の堀を見下ろす

  


本丸南側の高石と堀
島原城では、本丸の堀底から立ち上がる石垣が最も高く詰まれている。
石垣の上部には反りが見られ、出隅部の纂木積み(さんぎつみ)は丁寧に造られている。


 

            パンフレットより転載

文筆は一部「島原城を歩く」やガイドブック、
パンフレットなどから参照させていただきました