幅76.2センチの狭い線路の上を小さな車体が走つていく「ポッポ汽車」の愛称で親しまれた尾小屋鉄道は1919年(大正8年)、尾小屋鉱山の鉱山鉄道として開業し、77年(昭和52年)まで鉱山と小松市中心部を結んでいた。ポッポ汽車展示館には同鉄道を走っていた車両は昔懐かし鉄道の面影を残している。展示館は尾小屋鉱山の近くにあり、駅のホームを思わせるオープンスペースになっている。蒸気機関車、気動車(ディーゼルカー)客車が停車しており、いつでも自由に運転席や客車に座ることができる。そして、月に1回程度、気動車の公開運転もあり、懐かしい雄姿を眺めるため愛好家が集まる。   

 公開運転の動画の再生は右の画像をクリックして下さい。

       平成23年10月23日 ポッポ汽車展示館で行われた
       気動車の公開運転の様子をビデオ撮影しました
 

 

ポッポ汽車展示館のオープンスペース

 

駅のホームのようなポッポ汽車展示館に
蒸気機関車、気動車、客車の3両が「停車」している

 
      No5蒸気機関車
  蒸気機関車の足回り
 
          
        蒸気機関車の運転席内部
    
                 
 
下の方に円形の石炭入口がある
 戦前の昭和期の尾小屋鉄道では列車の牽引車として蒸気機関車が大活躍し、初期の1〜3号車はいかにも鉄道の雰囲気があった。これは丈夫でゴツゴツした感じの力強い蒸気機関車で、しかも76.2インチの狭い軌道を走る機関車として大型であった。尾小屋鉱山の閉鎖とトラック輸送の普及とともに活躍の場がなくなり、昭和40年代になって、スノープラフをつけた冬の除雪用として活躍した。
              No5 蒸気機関車の仕様 
気筒径×行程 260×400mm  実用最高気圧 1.3Kg/平方cm              
自重 14.5t 最大長さ 6,380mm  幅1,980mm 高さ 2,885mm
申請時価格1,600,000円 建造年月日 昭和22年3月  製造所 立山重工業(株)

 

        車両の外観
 

気動車の駆動部分
 

           キハ3の運転席内部
 

車両内部
                キハ3号ディーゼルカー

もと遠州鉄道線で活躍していた気動車で、同線閉線業後昭和39問尾小屋鉄道に入った車体は従来のキハ1.2号より長さ、高さとも大きく幅がやや狭いカーブが曲がりやすい構造を持ち、キハ1.2号で出来なかったボギ客車を2両引いて走行することができる。遠州鉄道のとき車体番号1803であったが尾小屋鉄道では、その180を塗りつぶし、末期の3を生かしキハ3号として使用した。
  
仕様
定員  60人  自重  11t 最大寸法 (長さ) 10,590mm f幅 2,100mm 高さ 10,590mm
軸距 6,100mm 車輪径 710mm 機関 日産UD-3 出力  110Ps/2000rpm
変速段数  4×1  譲渡価格 200,000円  製造年月日 昭和29年6月 製造所 汽車会社(株)


 

幅76.2cmの狭い軌道

 

ポッポ汽車展示館に保存されている No5 蒸気機関車の公開運転

 

年間5回程度 気動車、ポッポ汽車の公開運転が行われる

   
 

車両体験する乗客

   
 

ホームページに紹介した知人の鉄道ファン T・K氏

            T・K氏が語る尾小屋鉄道の思い出

もう半世紀のときを経ても生々しく私の脳裏を焼き付いています。小学校から中学校、特に中学校時代は汽車通学だった。その3年ほどの思い出の数々、始発駅尾小屋から「発車するぞー」と汽笛がなる。発車時刻は知っているが時計はもっていないよく待っていてくれた。たまに途中で止まっていてくれたこともあった。たまに途中駅の倉谷口で置いてきぼりされた事もある。それで学校まで線路道をとぼとぼと歩く、冬はかんかん詰めで身動きもとれない車内、自分の学年だけでも100人いたかな、3学年だとさあ大変だ、冬は雪に強い蒸気機関車にはよく乗った。当時のテレビで放映のキーハンターの列車(蒸気)シーンは記憶がある。鉱山閉鎖後、乗客の減少、土砂崩れによる尾小屋までの線路崩壊など、鉄道廃線との情報と共に写真撮りに思い出を写真集に保存、今はポッポ汽車展示館、小松粟津公園内の「なかよし鉄道」に動態保存されており、毎年なんでかしら足が向き心が和む。

 なお、さようなら列車の写真など、T・K氏より提供していただきました。

 

 最後の役目を果たしたDC121気動車



 

 

 


 

雪の中走るキハ3号の気動車

 

倉谷口駅の後先が土砂崩れで不通になった

 


  開業から廃止までに在籍した車輌は、蒸気機関車5、内熱機関車2輛、内熱動車2輛、客車11輛、貨車30輛の51輛、このうち尾小屋のポッポ汽車展示館に戦後に入線した立山重工業の製のCタンク14.5t No5蒸気機関車、前身の遠州鉄道の内熱動車キハ3、客車ホハフ7の3輛がが保存、毎年車輌運転されている。
 また、小松市の粟津公園内の「なかよし鉄道」には協三工業製のDC121の内熱機関車、内熱動車キハ2、客車ホハフ3、8が動態保存され、車輌運転が行われている。これらは今でも自走は可能である。

 三の滝

1772年冬 No5蒸気機関車が走る

 三の滝

    スノーブラフを付けた蒸気機関車


     

1772年冬 大杉谷川鉄橋で2両編成を牽引する蒸気機関車
 

 




1772年冬 金平駅付近で雪の中走る蒸気機関車


   
当時、さようなら列車の乗車券 
 資料提供は「尾小屋鉄道」 著者 寺田裕一氏
 

新小松駅舎とホーム 1975年  資料提供   


 
      
          赤線が尾小屋鉄道路線  黄色が小松線

  路線 16.8Km
軌間  762m
最大速度  35Km/h
全線非電化
全線 単線
駅数 16駅


 

素堀のままの観音下隧道   資料提供


 

荷物を運んで走る新小松行きキハ2  資料提供
         


 

尾小屋駅の駅舎  資料提供  


 

尾小屋駅の構内図


 

尾小屋駅の駅舎 1975年 資料提供