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kn能美古墳群 は、手取川左岸の扇状地の能美市中央部、東西約2km、南北約1.2km範囲に点在する五つの独立丘陵にある古墳群の総称です。丘陵は、西から寺井山(県指定史跡)、和田山・末寺山(国指定史跡)、秋常山(国指定史跡)、西山と並び、各丘陵の名称を支群としている。これまで確認された古墳は、弥生墓3基、前方後方墳3基、方墳3基、円墳43基を数え、未調査のまま消滅した古墳を合わせると70から80基をくだらないものと推定されています。古墳群の造営期間は弥生末期から古墳時代後期の約4世紀の長期に及び、この間、ほぼ方形周溝墓、方墳、前方後方墳、円墳の順に継続して墳墓が築かれている。全長150mという北陸では突出した規模の大型前方後円墳の秋常山1号墳、埋葬施設も木棺直葬から粘土槨、粘土室へと変化し、最後には切石積み横穴敷石室が出現している。また、和田山古墳からも武器、武具類、須恵器群が発掘され、、長期にわたる継続的な古墳の造営、多種多様の墳丘、埋葬施設、出土品は全国的にみても非常に珍しいものだそうです。今回は和田山・末寺山古墳そして平成23年に完成した秋常山古墳を訪ねました。
 
  
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 この古墳群は能美市にある加賀地方を代表する古墳群で、手取川左岸に広がる能美平野には能美古墳群と称される60数基の古墳が点在しています。昭和50年に国指定史跡に指定されました。
 この古墳群は、昭和26年以来、5次に及ぶ発掘調査が行われており、3世紀後半から6世紀の間に造られた前方後円墳や円墳など40数基が確認されている。この数々の古墳から古墳時代の古墳造りや埋葬施設の変遷をみることができます。中でも5世紀に造られた和田山5号墳は全長55mの前方後円墳は2つの埋葬施設を持っており、その施設からは神獣鏡、刀などの武器、農耕具類などの副葬品が出土しました。特に、武器・武具が多いことから、この古墳に埋葬された人は、強力な武力によって能美地域を支配した首長であったことが推測されます。また、和田山1.2.9号墳からも出土しています。これらの出土品は隣接した能美市歴史民族資料館で公開されています。
 現在、この古墳群は史跡公園として整備されており、古墳のほかに弥生末期の竪穴建物跡や高床式倉庫跡に囲まれた憩いの広場もあり、公園の桜の名所として有名で春には桜祭りも行われています。 桜満開の中で在りし日の古代の王者たちの生活に思いを馳せるのも良いのではないでしょうか。

                





数多く並んでいる和田山古墳群







 



   和田山城本丸にある9号墳

 



      滝





 
                        
和田山古墳群の中に和田山城がある

 
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「二の郭」周囲の空堀と土塁の道

  

 


 

櫓台から見渡せる白山

                        
末寺山(城山)古墳群の入り口


                        5号墳の前方後円墳の見取り図

 
                        
和田山5号墳からの出土品


 
                        
和田山5号墳のくびれ部



                        
後方が円墳で前方が方墳の「前方後円墳」

5世紀の和田山5号墳で全長が55メートル


 
                        
末寺山古墳群の入り口

  
末寺山5号墳


 

末寺山5号墳は前方後方墳
 

能美市立歴史民族資料館には
豊富な出土遺物が展示されている


 
                        

 

資料館提供

 


 


 
 
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 秋常山古墳群は、前方後円墳の1号墳と方墳の2号墳からなる古墳群です。古墳とは、今から焼く1600年前の古墳時代に造られた各地を治めた首長たちのお墓です。1号墳は全長約160メートル前方後円墳で、石川県最大級、北陸でも最大級の古墳です。造られた時期は4世紀後半ごろと考えられます。2号墳は一辺30mの方墳で、埴輪やさまざまの副葬品が出土しています。造られた時期は5世紀後半半ば頃と考えられます。
秋常山古墳群は加賀の古墳時代を知るうえで重要な遺跡として、平成11年、国史跡に指定されました。
 
    この挿絵をクリックすると拡大します     パンフレットより
 

 

 

左側が1号墳、右側は2号墳

 


 

 

 

秋常山1号墳の登り階段

 


 

一号墳の上段の後円部「葺石」と呼ばれる川原石
を並べている。この川原石は古墳の北側を流れる
手取川から採取したもので総数40万個、
総重量660トンの石が運ばれたと推定される。



1号墳の前方部



 

一号墳の後円墳の部分

 

秋常山2号墳の登り口
 

 




 

後円部の墳頂にある埋葬施設
 

 

2号墳の頂上から眺めた能美古墳群がある和田山・
末寺山が見える。日本海までが見渡せる良い場所である

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