バスツアーでフェリーで行く天草諸島・長崎2泊3日の旅をしました。コースは小松から北陸・名神高速道を経由して泉大津港から阪九フェリー(船中泊)、朝方6時に新門司港到着。天草諸島→天草パールロード→キリスタン館→鬼池港出発(有明海フェリー)口之津港着・下船→長崎平和公園・原爆資料館→長崎・稲佐山で宿泊→大浦天守堂→グラバー園→小松着

 
 

 
                        
阪九フェリー・(つくし)

 
  
  広く気持ちのよい一等寝室
    テレビ、洗面、浴衣付き
 
 船内はとてもきれい。夕食は和食、2000円で特別食。仲間でビール乾杯する。
 


 
 夕日の撮影時に1台の飛行機が
偶然に飛んでいる

 
   
 熊本県から天草諸島へ向かう国道で天草五橋を渡る部分が天草パールライン。天草5橋は、国道線上に点在する島々を結ぶ5つの橋の総称である。天草五橋の1号橋から始まり、島の合間をかいくぐるようにして道路が走る。「日本の道百選」にも選ばれている。 

 

天草松島展望台


 
                        
天草松島展望台より
「天草4号橋」を望む
天草パールロードの途中で青い海がきれいな絶景のポジションから撮影

 
                        
天草1号(天門橋)


三角と大矢野島を結び、五橋の中で
最も海からの高さがあり、連続トラス形式

 
                        
天草2号橋(大矢野橋)

大矢野島と永浦島を結び、ベージュ色のアーチが特徴、ランガートラス形式

 
                        
3号橋(中の橋)


永浦島と大池志島を結ぶ橋。PCラーメン形式

 
                        
4号橋(松島橋)

大池島と前島を結び、五橋の中で一番長い(510m)橋 PCラーメン形式

 
                        
5号橋(松島橋)


前島と天草上島を結ぶ赤い橋。パイプアーチ形式

 

天草殉教公園より町並を望む

 
三の滝

天草キリシタン館

1566年、天草にキリスト教が伝来してから南蛮文化、
1637年に勃発した天草、島原の乱、乱後の天領となった
時代のキリスタン遺物など200点の展示資料がある。


 
                        
若い頃の天草四郎の肖像画

 
                        
天草四郎銅像

 

有明海フェリーより普賢岳を望む

 
 

平和公園祈りのゾーン (原爆中心地)

長崎平和公園は長崎駅の北約2.5kmに衣稚する面積約18.6haの総合公園である。よく知られている主な平和祈念像、原爆落下中心地、浦上天主堂遺壁などを掲載します。1945年8月9日 御前11時2分、爆撃機B29により投下された原子爆弾は上空500mで炸裂、爆風と熱線と放射線で市街地は廃墟と化した。長崎氏の北部一体は全焼し、約15万人の死傷者をを出しました。塔の前に置かれた原爆殉難者名奉安箱には原爆により爆死しされた方、被爆者でその後亡くなられた方々の氏名が奉安しています。
 
 平和祈念像は、史上最大の惨禍によって瞬時に数多くの同胞市民を失い、筆舌につくし得ない悲惨苦に当面した長崎市民が世界恒久平和の実現を広く世に訴え、この惨禍を再現せしめてはならないという切なる祈願により、シンボルとしてしょうわ30年8月の原爆10周年記念日に建立されたものです。
平和祈念像は国内、海外を問わず拠出された浄財によって彫刻界の権威、北村西望氏製作による全長10mの青銅男神像であり、上方を指した右手は原爆の脅威、水平に伸ばした左手は平けく安らけくと平和のすすめる姿であり、頑丈な体形は絶者の神威を示し、柔和な顔は「神の愛」または「仏の慈悲」を表し、また、軽く閉じた目は戦争犠牲者の冥福を祈っている姿です。また、折り曲った右足は瞑想、すなわち静、立った左足は救済の動、いずれも神仏の特性を表現したものであり、本像はその規模において、その思想において、この類を見ない雄大な芸術作品である。 

三の

平和記念像

三の

昭和26年春着工 青銅製で高さ9.7m台座3.6m
重量30トン 北村西望氏作

 
                        
折り鶴の塔

 

平和の泉
噴水の直径18m 噴水の高さ 0.5〜6m
「のどが乾いてたまわりませんでした 水に油のようなものが一面に
浮いていました。どうしても水がほしくてとうとう油の浮いたまま飲みました」

  平和の泉は原爆のために体内まで焼けただれた被爆者は「水を」「水を」とうめき叫びながら死んで行きました。その水を求めながら亡くなった原爆犠牲者の冥福を祈り、合わせて世界恒久平和を祈念するため、全国からの浄財を基に作られたもので、前日の8月8日の夜には数多くのローソクを灯し、犠牲者を悼む市民のも催しも行われます。

 

被爆50周年記念事業碑



 

被爆爆心地に移築された被爆当時の浦上天主堂の側壁の一部

 

黒御影の石柱、原爆落下中心碑は原子爆弾が投下された中心地

 

中国日中友好協会を通じて寄贈された「乙女の像」
寸法 高さ3.2m 幅2.65m 27トン 材質 大理石


 
                        
稲佐山のホテルより長崎市内を望む

 

稲佐山中腹のホテルより長崎市内を望む 夕暮れ時に撮影


 
三の滝

稲佐山のホテルより長崎市内の一千万ドル夜景


 
                        

        
 「グラハー園」は、国指定重要文化財の旧グラバー住宅、旧リンガー住宅・旧オルト住宅を核に、市内に点在していた6つの明治期の洋館を移築復元したものです。
 園内は長崎独特の坂の地形のため、動く歩道、エスカレータを設け、壁泉、石畳による回遊道路を巡らして、異国情緒あふれる観光名所としてたくさんの人々に親しまれ、年間100万人以上もの観光客が訪れる。
 遙か東シナ海へと続く長崎港、稲佐山をはじめとする山々、人々の息づかいが感じられる町並など偉人たちも魅せられた絶景のスポットがある。そして、いつ訪れても花ざかり!園内には至る所に花々が配され、いつ訪れも四季折々の花が愛でる喜びを味わうことができる。夜のグラバー園もお勧めだそうだ。

 

グラバー園の入口

 

エスカレータ

 


グラバー園から市街を望む


 


旧三菱第2ドックハウス

「ドックハウス」とは修理のため船が造船所に入っている間、乗組員
たちが宿泊した施設。明治29年に造られた典型的な西洋風建築


 


ドックハウスから市街を望む

 


プッチーニ像

世界三大オペラにも数えられる長崎を舞台にした歌劇を作曲した。

 


歌劇マダムバタフライ蝶蝶夫人を演じた三浦 環の像


 

旧グラバー住宅 国指定重要文化財

 


1863年に建てられた日本最古の木造西洋風建築。正面玄関を設け
ないクローバ形の建築は、南国のバンガローをイメージさせます。

 


スコットランド出身のトーマス・ブレーク・グラバーの像


 


グラバー邸内

 


亀山社中の坂本龍馬がグラバー商会から薩摩名義で
最新銃4300丁、旧式銃3000丁を購入した。


 


旧ウォーカー住宅

イギリス人実業家で大浦天主堂の隣に明治中期に建てられた。


 


旧オルト住宅 国指定重要文化財

長崎に残る石造りの洋風住宅の中で最も大きいもの。
旧グラバー住宅や大浦天主堂を手がけた小山 秀によって
施工港に向かって突き出た切り妻屋根のポーチ


 


旧オルトの広いベランダーを支える天草石の列柱が特徴


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