◎創始
松本城は戦国時代の永世年代初めに造られた深志城が始まり。戦国時代になり世の中が乱れてくると、信濃府中といわれた松本平中心の井川に館を構えていた信濃の守護小笠原氏が、館を東の山麓を林地区に移すと、その家臣らは林城を取り囲むように、支城を構えて守りを固めます。深志城もこの頃林城の前面を固めるために造られたのです。その後甲斐の武田信玄が小笠原長時を追い、この地を占領し信濃支配の拠点とします。その後、天正十年(1582)年に小笠原原貞慶が、本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回復し、名を松本城と改めました。
◎天守築城
豊臣秀吉は天正十八年(1590)に小笠原城に北条氏直を下し天下を統一すると、徳川家康を関東に移封しました。この時松本城の小笠原氏は家康に従って下総へ移すと、秀吉は石川数正を松本城に封じました。数正・康長父子は、城と城下町の経営に力を尽くし、康長の代には天守棟(天守・乾小天守・渡櫓)はじめ、御殿・太鼓門・黒門・櫓・塀などを造り、本丸・二の丸を固め三の丸に武士を集め、また城下町の整備をすすめ、近世城郭として松本城の基礎を固めた。天守の築造年代は、康長の文禄二年から三年(1593~1594)と考えられます。
パンフレットの資料より
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