姫路城の南西から望んだ天守群
南面が天守の正面で城漆喰総塗籠の純白の外観が、城の品格を
象徴する秀麗な意匠と籠城戦への備えを装備した純白の天守群。
外観5層の大天守は、内部6層、地下1階。薄暗い地下には、北東隅と南西隅に備前焼のツボを埋めた厠がある。目をうばうのは、ふた抱えもある樅材の東大柱と檜材の西大柱。天守を支えて地下~6階の床下まで高さ24.6メートル。天守の階段は、急勾配で狭い。一重目の正面幅は約24メートルで、奥行きは約18メートルの広さがあり、ほぼ同じく大きさの二重目が載る。二重目の屋根が巨大な入母屋の大屋根であり、その上に、三重目の望楼(大屋根の上の物見)を載せた望楼型である。分厚い土壁の表面に白漆喰を塗り、屋根瓦の繋ぎ目にも漆喰を塗って仕上げるなど、華麗な白い天守になっている。華麗さを決定づけるのは、屋根につく破風である。
破風
とは屋根の両端にできる三角形の壁面もしくは、屋根に載る三角形の出窓のこと。三重目の屋根に破風を二つ並べた比翼入母屋破風。二重目と最上階には曲線を描いた軒唐破風が用いられ、さらに屋根飾りである鯱が11基も設けられている。
姫路城の天守群は4基の天守・小天守で構成されているため、見る方向によて天守群の表情が大きく変わり、そのいずれも美しい。1951年(昭和26)に天守群を造る天守・小天守・渡櫓など8基が国宝に指定され、1993年には姫路城跡全体が世界遺産に登録された。
大天守
池田輝政居館跡の備前丸から仰ぎ見る大天守。高さ15㍍の石垣の上に、
32㍍の大天守がそびえる姿は、雄大そのものであり、正面の顔であり、
様々な破風が重なる表情は、厳しく堂々とした風格がみなぎる。
姫路城の外観を美しく飾るものとして破風がある。
(入母屋破風、千鳥破風など)の巧な配置である。
ガイドブックより
西小天守(左)と大天守(右)
西小天守
乾小天守
東小天守
姫路城は大天守に対して3基の小天守または
隅櫓を並立して建て、これらを中庭を囲むようにして渡櫓で
ロの字型につなぐ連立式天守へと発展していった。
乾小天守から内庭方面を望む
乾天守は「ほ」の門の眼前に建つ。乾小天守からは、
大天守に結ばれる東小天守や西小天守などの渡り廊が
重なり、堅固な城内の様相が伺える。
大天守の特徴は地震の横揺れを防ぐため
地下から5階までに、高さ24.6メートルの
東西2本の大柱を通した。このような構法は
極めて珍しい。
姫路城の大天守を支える2本の東西大柱は、
現在は昭和の大修理で西大柱すべて檜材に
東大柱は一部は檜材に変えられた。
筋交の外側には石落が、その下には
鉄砲狭間が設けられている
屋根裏階にあたる。5階の北千鳥破風内部
4階の破風の間。武具かけが備えてある
1階にある「ニ」の渡櫓につながっている二重扉
窓が高いため4階四方に取り付けられた石打棚。
4階の破風の間。物見窓になっている。
1階の武者走
6階は他の階と違って座敷風。刑部明神は
姫路城の守り神と伝えられている姫君の妖怪。
ガイドブックより転載しました
①②はユニークな鬼瓦も多く、キリスタンであった城主・黒田孝高のもと考えられる。
打出の小槌は表鬼瓦の邪気払いとも富みを願う呪術ともいわれている。
③の滴水瓦は海水を落とすための瓦先端を伝わせて地面の排水溝に落とす。
姫路城は城主の交代が多く、たくさんの家紋も見られるのが特徴
屋根は
大天守最上階(6階)からの眺望
姫路駅に続くまっすぐな大手前通りが見える
備前丸から見た西の丸の望景
西の丸は1618年(元和)、池田氏に代わって姫路城主となった
本多忠政によって現在の姿に整えられた。南西隅の「ワ」の櫓から
北東隅の化粧櫓まで、百間廊下がつづき、廊下には女性の居館にしては、
いささか物騒な石落し、鉄砲狭間を配している。
また、西の丸は姫路城城主の本多家に嫁いだ千姫(徳川秀忠の長女)
のための御殿として建てられた。千姫は毎朝夕に城西北の男山にある
天満宮を逸拝していたといわれ、その身支度をしたりするための休憩所であった。
「菱の門」から西の丸方向への坂道
「ワ」の櫓から百間廊下へ入る
百間廊下の外観
百間廊下
の内部
百間廊下の内部
石落としや鉄砲狭間など設けられている
化粧櫓の横の階段から出口になる
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化粧櫓
千姫がこの櫓を休憩所としたことが名称の由来。
部屋には極彩色の豪華な装飾が施されている。
は
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西の丸から見た天守群は絶景の撮影ポイントである。
化粧櫓と百間廊下出口
「ヌ」の櫓
「ル」の櫓と「ヨ」の渡櫓
「カ」の櫓
文筆は一部「姫路城を歩く」やガイドブック、
パンフレットなどから参照させていただきました
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