江戸城周辺マップ
所在地 東京都千代田区
種類 輪郭式・平山城
天守 なし
築城 1457(長禄元) 太田道灌
1606年(慶長11) 徳川家康
1622年(:元和8) 徳川秀忠
1637年(寛永14) 徳川家光
主な城主 太田氏・後北条氏、徳川氏
主な遺構 外桜田門・田安門・清水門
現存する3つの櫓
富士見櫓・伏見櫓・
桜田
巽櫓
特徴・見所
○全国屈指の巨大枡形が3棟現存
○ 天下普請らしい豪華さとスケール
○:現存遺構をしっかりチェック
江戸城は、天下を平定した徳川家康が江戸幕府の政庁として築いた城で、周囲16Kmにも及ぶ近世最大の城郭である。この地に太田道
灌(どうかん)が居城として築いていたが、1590年(天正18)に入城した家康により増築・拡張がなされ、三代将軍家光のときに濠が築かれ、現在の千代田区・中央区・港区の一部を加えた巨大城郭が成立した。現在、本丸、二の丸および三の丸の一部は皇居東御苑として一般公開されており、北の丸は北の丸公園として開放されている。見学コースは、大手門、平川門、
北桔橋門の三つの門から入苑できるが、正門である
①大手門
から入り、三の丸から見ていくことにした。まずは現存する三つの
③番所
(同心番所・大番所・百人番所)、中雀門跡、
④富士見櫓
、
本丸跡
⑤天守台
を経て二の丸庭園に入る。一方、
平川門
、
⑦桜田巽櫓
、
⑧二重橋
、
⑨伏見櫓
、
⑩半蔵門、⑪田安門
、
⑫清水門
を見ながら江戸城を一巡することにした。
江戸城は、高石垣や水堀そして城門が多いのは「天下普請」という全国の大名を動員して請負工事システムをつくったといわれ、天下普請に必要な資金はすべて大名が負担して手柄を上げ、出世しょうと張り切る大名が続出した。こうして、全国から最高の素材を献上し最高峰のお城が誕生したのである。家康が確立した参勤交代も財政負担をかけつつ、威厳の擦り込みを行った。
江戸城は城門が多く、櫓が少ないのが特徴。城門の数が123棟。戦うお城でなくて象徴のお城。やたらに攻撃陣地をつくらなくても、出入口でがっちり警護して不審者を城内に入れなければよかったのである。
江戸城の天守は日本一の巨大天守であった。家康、秀忠、家光の3人の将軍がそれぞれ建て替え、なかでも1637年(寛永天守)
家光のときの天守
は最大で高さが約58mもあった。姫路城の大天守よりも大きかったのである。家康が1607年(慶長12)に築いた天守は白漆喰の壮麗な外観であった。完成から僅か20年あっけなく焼失。4代家綱が再建計画を立てたものの財政難から実用性のない天守は必要ないことから再建は見送られた。1868年(慶応4)の無血開城までの265年間で、江戸城に天守があったのは約50年ぐらいで、現在は天守台が残っているだけで天守台からはスケールの大きさが伺える。
お城のガイドブックより
城内マップ
①大手門
大名が本丸に入城するときに使った江戸城の正門
①大手門は高麗門と櫓門の典型的な外枡形
大手門の高麗門(内側から見る)
大手門の櫓門
②三の丸尚蔵館
皇室に代々受け継がれた絵画・書・工芸品など約9500点の美術品が収蔵されている。
同心番所
同心番所には同心が詰めて、主に登城する大名の供の監視あたる
ところ。
番所とは警備の詰所のことで江戸城の警備は大変厳重で、
大手門から本丸まで3つの番所を通過する。ここを籠や馬に乗ったまま通
ることができるのは尾張、紀伊、水戸の御三家だけであった。
汐見坂・白鳥濠方面への城門跡。
大番所
大番所は、本丸の入口である中の門の内側に設けられ、
本丸の最後の固めとして他の番所よりも位の高い与力、
同心が警備した。ここからは大名・旗本であっても乗り物から
降り歩いて登城しなければならなかった。
隙
中の門跡
隙
③百人番所
長さ100mを超える建物で、二の丸から本丸へ入る要所を固める最大の検問所。
鉄砲100人組と呼ばれる根来組、伊賀組、甲賀組、二十五騎馬組の4つの組が詰め、
与力20人、同心100人が昼夜交代で警固していた。
隙
中雀門跡
皇居東御苑・本丸に入る門跡
中雀門に残る幕末の火災痕
城内から見る富士見櫓
。
城外から眺めた富士見櫓
松の廊下跡
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富士見多聞櫓(城内)
石室
抜け穴、金蔵との諸説があるが、大奥御納戸の脇という場所
から非常の際の大奥用調度品を収めたと考えられる。
⑤天守台
本丸跡の北西の端に国内最大の天守台が残っている。
江戸城の最初の天守は、1607年(慶長12)に完成。
その後、2度建て替えられたが、寛永期の金の鯱をいただく勇壮な五重の天守は、
明歴で焼失。翌年、加賀前田藩により天守台のみ築き直された。その後、
天守が再建されることはなかった。
本丸の天守台の手前は小天守台
東側から見た天守台
⑥汐見坂
本丸跡から急な汐見坂を下り、二の丸におりていく。
白鳥堀
本丸と二の丸を仕切る白鳥堀は塩御坂の脇にあり、
美しい石垣に満々と水を含み、城内の絶景のひとつ。
汐見坂からは天守閣の入口にいくこともできる
桜田巽櫓
大手門を過ぎると見えてくる桜田巽櫓。この櫓は三の丸に残る唯一の隅櫓。
白い漆喰の二重櫓が濠の水面に映る姿が美しい
桔梗門
桔梗門
の正面
⑧二重橋
二重橋から見る皇居正門
月見橋
皇居正門は昔の西の丸大手門
月見橋
外桜田門は内枡形門
桜田門内の高麗門
桜田門の枡形内
⑨伏見櫓
伏見櫓は西の丸南西の隅にある二重櫓で長屋造りの多聞櫓があり現存遺構である。
別名「月見櫓」とも呼ばれ、皇居で一番美しい櫓といわれている。
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大手濠、桜田濠、半蔵門濠など一周5kmのランニングコースがあり、
私もウォーキングしていたところランナーと会って聞くと、走りやすいコースで
大人気があり、1年中ランナーが絶えないそうです。
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本丸北桔橋門の高石垣(東側) 石垣の高さ城内最高の21m
⑩半蔵門
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⑪田安門の高麗門
櫓門と高麗門からなる巨大な枡形門である。
一部改修されたが、江戸時代の現存遺構(国重文)
田安門の枡形内
この門の近くに武道館がある。
平川門の渡櫓門
鬼門(北東)の方向にあって、死人、罪人など「不浄なるもの」という
専用の出入口から不浄門とも呼ばれた。刃傷事件を起こした
浅野内匠頭がここから城外へ出されたと言われている
平川門の高麗門
北桔橋門
正面
北桔橋門の内側
二の丸雑木林
昭和天皇の御発意により、都市近郊で失われていく雑木林を
復元しょうと昭和58年から3年かけて造成された。
二の丸庭園
九代将軍家重の時代の庭絵図面をもとに池泉回遊園として復元された日本庭園。
二の丸池は小堀遠州作といわれる庭園の池水とほぼ同じ位置にある。
⑫清水門
北の丸の東門である清水門は、櫓門と高麗門の先にも折れ曲がり
があり、二重の枡形を形成して外敵の突破を防いでいる。
現在の門は、1658年(万治1)に再建された(国重文)
桜と
清水門の櫓門
清水門は櫓門を抜けたらさらに枡形門がある二重枡形虎口
桜と
清水門の高麗門
文筆は一部「江戸城」ガイドブックや
パンフレットなどから参照させていただきました
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