能美電は1923年(大正12年)から旧根上町の新寺井駅と旧鶴来町の間約16.7キロメートルを結び旧3町(,旧根上町・旧寺井町・旧辰口町)を東西に貫いて走った。「能美電」の愛称で親しまれ、住民生活に欠かせない交通手段として利用された。新寺井駅は小松、金沢の通勤通学をはじめとする乗降客で賑わい、土用の丑の日の前夜には加賀舞子海水浴場へ向かう人々で混雑したものである。また、能美電は白山さんの初詣には24時間運転された。しかし、自動車などの普及などから乗客が減少し、1980年(昭和55年)に廃線となった。その後、能美市は北鉄から市民融和の象徴として、能美線を走った51年製の車両の無償譲渡を受け、市立博物館西側に展示する「のみでん広場」の整備が行われた。今後は機会があれば廃線の跡をたどってみたいと思う。能美電唱歌をBGMとして流れていますので一緒にお聞き下さい。(唱歌はテレビ小松提供)
~歴史~
1925年(大正14) 8月 能美電気鉄道が新寺井~本寺井間開通
1932年(昭和7年)1月 天狗山~鶴来間開業と同時に手取川橋梁(天狗橋)と天狗山髄道
1980年(昭和55年)9月全線廃止                     
 
 上下の路線は石川線。真ん中の路線は能美線。総じて石川総線と呼ばれた

 

当時の面影を偲ばせる車両が展示されている「のみでん広場」

 

能美電は市立博物館西側に整備され、屋根付きの中に併設されている

 

昭和26年に製造されたモハ3761号の車体


 

 

桜に囲まれている車両

 三の滝

         

 

全長25メートルのプラットホームも併設



車両内に入ることもできる。
かざりけのない2色塗装は北鉄の統一デザインである。


   

運転操作台の様子

    

  

電車は、博物館の職員が毎日掃除しており、
今でも走りそうな美しい姿が見られる。
車内には現役当時の写真や真上には、
昭和のはじめに作られた
鉄道唱歌歌詞が掲げてある。
    

 
能美電唱歌をクリックすると拡大します

 
当時の開通のモノクロ写真

                        車内の写真展示提供
 

現在のJR寺井駅前にあった新寺井駅
右横には車両止めの代わりに大きな物体が置いてある。

 
        
本寺井駅

駅前には商店街や映画館などあり、この駅には車庫、
保線係もあって、昭和30年ごろ「九谷茶碗祭り」が行われた。
                    



加賀佐野駅

旧国府方面からの利用者が多く、最盛時には1日700人の乗降客があり、
陶器、木材、などの出荷など産業面で大きな力になった。

 

鳥居の横に走る電車。現在は面影もない場所?

 

荒れた駅舎の無人駅

 
                        
さようなら電車を待つ乗客


 

天狗山トンネルから天狗橋に渡る電車

 
 
旧根上町出身の(故人)砂場三郎さん作 
JR寺井駅広場の水彩画(昭和10年ごろ)
 
  当時の能美電の活躍を記憶に残してほしい。そして、ふるさとの面影を子供たちにも伝えていこうとの試みで、引退した電車を北鉄から引き取り、桜シーズンには「桜フェステバル」、そして平成19年には「ノスタルジア能美電」が開催され、あの頃懐かしい車両や往時の品々が市民や鉄道ファンに公開された。

 

能美電の廃線跡は道路となって約2000本の桜の木が、
この道路沿いに10キロメートルにわたって延々と植えられている。

 

平成25年春から桜シーズンには4つの色とりどりに
ライトアップされるようになった。

 

 


 


 


 

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